【外部脚本】あなたに手を伸ばすこと(『殉教者』をご観劇くださった方向けの脚本家としての御礼)

20120815_2713028公演詳細はこちら

こちらは、えんとつねんまつえんげきおさめ 大原研二ひとり芝居『殉教者』という作品の戯曲を書いたもの(つまりわたくし)による雑文的ななにかです。

『殉教者』はサイイド・クトゥブという人についての小さな演劇です。サイイド・クトゥブについてはこちらのwikiをどうぞ。反世俗、反西洋的な「クトゥブ主義」を唱え、今なおイスラム過激派の理論体系の根拠となっています。彼の『道標(マアーリム・フィッタリーク)』という著書はマルクスの「共産党宣言」と並ぶ20世紀で扇動的な書物と言える、と思います。

これだけ書くとなにやらめちゃくちゃに危ない、かつ冷徹でファナティックな人間に思えるし、実際そういう要素もあるんだろうけど彼自身の人間性にフォーカスを当てたのが今回の作品です。ものすごくざっくばらんに言えば強い人間の強さ、というのは弱さとのコントラストのように思えてなりません。つまり強さは絶対値ではなく相対値で。彼がどれだけ強いメッセージを残そうとも、それは彼自身が超人というわけではなく、彼の弱さをより強く示唆している、のではないかと。

このモチーフを設定した根底には、「文化的にあまりに違う人間に手を伸ばしたい」という私の切望があります。なぜなら、この物語でクトゥブに起こるものごとは「あまりに真面目すぎるがゆえに道を外してしまう」という(何が道を外れたのかの論議はさておいて)あまりに普遍的なモチーフだからです。それが「イスラームだから」「エジプトだから」といった要素だけで「他人」としてしまうのはあまりにも惜しい。なぜなら、彼に起こった信仰の危機は全く他人事ではなく、いつか私たちの身に起こるかもしれないからです。

っていうか、実際すごいと思うよ。1960年代に「物質主義とイスラムの戦い」を予言していただけでも充分にすごい。僕たちはサミュエル・ハチントンを超えてようやく文明同士の闘争について思いを馳せたというのに。

この物語、フィクションではありながらほぼ実話です。最後に示された事実(ご観劇いただいた方ならおわかりになりますね?)以外に嘘はありません。最も、そのフィクションも間接的にはありえる範囲にとどめてあります。どこか知らない物語は、あなたの現実につながりましたでしょうか。

最後に、えんとつシアターの方々、スタッフ、初演を見届けてくださった新潟の観客の皆様、なによりこのタフすぎる作品を背負ってくださった大原研二氏に最大限の感謝を。本当にありがとうございました。