feblabo×シアターミラクルプロデュース『桜の森の満開のあとで(2016)』無事終演致しました。
興味を持ってくださった方、ご来場くださった方、親愛なる俳優スタッフ各位有難うございました。
まさか10ヶ月という短い期間で『桜の森の満開のあとで』を再演することになろうとは夢にも思っていませんでした。
私は毎回公演が終わるとこのような「あとがき」を書いているのですが、
実は初演時にだいぶ書きたいことは書いてしまっています。詳しくは こちら
ですので、今日は脚本家が「再演すること」について書いてみたいと思っています。定義とか意義とか感想とか希望とが入り混じった少しの雑文です。最後にもちろん今回のことも書いています。なんか書いていたらたいそう長くなってしまいました。お時間の許す限り、お付き合いください。
小劇場演劇で再演が行われる可能性は4つあります。
①自分のカンパニーで上演した戯曲を自分のカンパニーで再演
②過去に作家の所属していたカンパニーの戯曲を、現在作家の所属しているカンパニーで再演
③過去に自分のカンパニーで上演した戯曲を、別のカンパニーで再演
④過去に自分の所属団体で「ない」カンパニーで上演した戯曲を、別のカンパニーで再演
この中で、
①と②はほぼ同じようなものですね。これは再演形態ではなく、自分たちの問題なのでほとんど変わりがありません。そして、一番多いのがこちらだと思います。過去に自分が助手として参加させていただいたDULL COLERD-POPさんの「Caesiumberry Jam」もこのパターンです。大きく加筆修正されることがあるのもこの上演形態の特徴のようです。
③、これも多いパターンですね。小劇場の枠をはみ出た有名劇団さんの戯曲、例えば惑星ピスタチオさんの「破壊ランナー」、キャラメルボックスさんの「広くて素敵な宇宙じゃないか」のようなキラー・コンテンツは安定したクオリティが望めるため広く上演されていますし、最近ではアガリスクエンターテイメントさんの「ナイゲン」のように良質で上演条件も簡素な戯曲は色々な場所で再演されています。
そして④。今回の『桜の森の満開のあとで』はこれに当たるわけなのですが、このケースは非常に珍しいです。ないってことはないのですが、今ぱっと思い当たりません。いくつか条件が揃わないと行われない再演スタイルだと思います。
そして、僕は④に当たる作品を書かせていただいたこと、関わらせていただいたことを本当に嬉しく思っています。
実は現代の小劇場演劇はいわゆる新作至上主義でして、ざっと見て8割弱は新作なのではないかと思っています。8割って結構だなぁ、と思った方もいらっしゃると思うのですが、逆に言えば2割強は古典戯曲ないしは再演なわけで、それを思うだけでも新作の率が下がったと思っています。
再演のなにがいいって、稽古の最初にきちんとした台本があるんですよ!
(なんかすごく馬鹿っぽい感想だな・・・
稽古が始まってから俳優が一番作品に参加できるクリエイティブな時期を長く持てる、というのは作品にとって大きなことだと思うわけです。なにせ稽古の初期は戯曲に身体を浸すことに、後期は上演を目指して稽古するのですから。
作家から見ても、本当にこの戯曲が再演の価値があるものなのか、俳優が変わっても追求できる身体があるのか、時勢や時節に合っているのか、あるいは時代を超える価値があるのかとチェック項目は様々にあります。
今回の公演もまさしくその通りで。僕は他現場の兼ね合いもあり中々稽古には行けなかったのですが、もしかしたらスーツやシャツの職人さんも同じようなこと考えているのかなーなんて思っていました。きちんと採寸はしているし、型通りに作ってはいる。伝統技術に則って誠実に作っている。だけど、実際に袖を通して、タイを締めてみて。脇が締め付けられて苦しくないか、とかその人のしている時計に袖があっているかなど、その人の本当に思う快適と自由さはまだ無数にある。そんな作業を詰めながら、
演劇は人間とその関係なんだ、それでしかないんだ、と基礎中の基礎を愚かにも再確認する日々でした。
どこまで行ってもそれしかない。それはもちろん技巧的に上手い下手はあるし、演者としてもどれくらい開いているか、違う考えの人と繋がれるかなど様々な要素はある。だけど、初恋は大人になってからの恋に劣っているのでしょうか?私はそうは思いません。技術や思考の質や量の問題や経験を超えて、真剣に悩んで言葉を絞り出す姿は美しい、改めてそう思えたことは私にとって大きな収穫でした。
それは、初演とはまったく違う、ワカナの強さや、ウメガエの表面的な硬さと内面のもろさや、アズマヤのどこか抜けて愛されるところや、サカキの意外な可能性、マツカゼの背伸び、愛されるスマ、他にも沢山たくさん全員に物語は支えられていました。
そして私にとって最大の収穫が、『桜の森の満開のあとで』が「会議劇エンターテイメント」として成立しているな、と感じた実感です。僕はずっとコメディが羨ましかった。
コメディのアウトリーチの広さというか、「誰とでも手をつなげる」感覚が羨ましかった。
でも、僕にはコメディが書けない。しかも、ヒネている大人も人間の内側のドロドロしている部分も得意じゃない。だったら、どうしようと真剣に考えて、仕組みとその中で真っ直ぐ、素直に、誠実に生きている人のことを考えました。
それが、多分多くの人に伝わるであろう「エンタメ」に届いたこと、本当に嬉しく思っています。大好きな「タケカワゼミ2期生」のおかげです。本当にありがとう。
本当に池田Pに感謝です。みんなと出会わせてくれました。
出会わなければ僕たちは始まらないから。
参加してくれた12人の愛すべき俳優たち、初演の俳優たち、スタッフの皆さま、ありがとうございます。
今僕にできることは、ずっと公演通してそうでしたが見守って対話することでした。
それを目撃してくださった皆様、本当にありがとうございます。
皆さんが目撃して、出会ってくださって初めて演劇になりました。
また僕は歩き始めます。劇場でお会いしましょう。
雨が降ったりやんだりの、秋にしては蒸し暑い日に。
南慎介