【外部脚本】私の父のメモ、あるいは思案のはしばし(feblabo「桜の森の満開のあとで(2016)」についての雑文。)

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こちらは、feblabo×シアターミラクルプロデュース「桜の森の満開のあとで(2016)」という作品の戯曲を書いたもの(つまりわたくし)による雑文的ななにかです。

 

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昨年の初演時に書いた雑文は こちら からどうぞ。こちらの方が、だいぶ初見の方向きです。

 

 

だいぶ前の、しかもとても個人的な話になります。
子供っていうのは大体いろんなものを質問をしたいもので、
「ねえ、なんで月は欠けるの」「どうしてお巡りさんはピストルを持ってるの?」「どうして車は左を走るの」「どうして」「どうして」「どうして」

でも、うちの父はあまり答えてくれない人でした。
かわりに、一冊が自分の腕より分厚い百科事典(多分15冊セット、とかだったと思います)を買ってくれまして。
「これで調べろ」というわけです。
面倒臭いなぁ、教えてくれたっていいじゃないか、と子供の頃の私は思っていたわけですが。

それよりずっとあとになって、父がふっと飲みながら
「最近はなんでも携帯で検索ができちゃうから思索をしなくなるな」
と言っていたのを聞き、おお、と思った記憶があります。

検索をせずに思索をしなさい。

すぐにたどり着いた答えは、もしかしたら本当に必要な時に身についていないかもしれないから。

そんな父は既に鬼籍に入り、実家の父の部屋は私の部屋になりました。
検索嫌いな父はあまりパソコンでの検索が得意ではなかったので、机の周りにはたくさんのメモ書きが残してありました。
正月の飾りを頼むのはここ、便所の電球の規格はこれ、今年はこれだけの人にお歳暮をもらった、最寄りの警察署の電話番号、オレオレ詐欺の電話がかかってきた日付と手口、薬の飲む時間、肩こりを減らすストレッチ、駅まで歩くために必要な時間。

そんなメモも、私は検索できるものを残して捨て、父の知恵だなと思うものだけをコルクボードに貼っています。机の上もずいぶんすっきりしました。

こんなにシンプルになるなんていいものだな、と思いつつも、
思案する時に天井を見上げると、父の四角い特徴的な文字が目に入ってきます。
あれは、思索のかけらだ。
結論を出す話ではなく、結論を考えようと思索する人たちを描きました。
思索をする若者の身体は美しい、と思っています。

どうぞ、劇場まで足をお運びください。

南慎介