Minami Produce verse.08「辺境、どこまで行っても」無事全ての公演が終了いたしました。
ご来場いただきました皆様、関係者の皆様に篤く御礼申し上げます。
この作品の構想が思い浮かんだ時、まず「よくわからないものを創ろう」と考えていました。
もう少し説明すると、テーマを決めて、登場人物を決め、大まかなストーリーラインを決めてハコ書きをして事前にあらすじを用意して、と行ったいわゆるルーティンワークをほぼ排除して作品を作りたかった。それらの約束ごとは大きな物事を束ねるのに非常に有効だけれど、もっとささやかなもの、普段日常やぼくらの創作からすらこぼれ落ちてしまうものを作品にしたいと思っていました。
そしてもうひとつは「どこまで演劇であれるか」、みたいなことでした。最初に岸上大作の「ぼくのためのノート」を読んだ時には、こりゃだめだ、と正直思ったものです。劇中のセリフにもあるように「ある種のエヴァーグリーンさ」はあるものの、支離滅裂だし、あまりに個人的すぎる(誰にもわからない固有名詞ばかり)だし、そもそも文体は敬愛する太宰治の借り物である。
これをそのままやって演劇にできるはずない、じゃあやろう、で、今回の作品となりました。
書いてても支離滅裂ですね。演劇の持つ、物語性というか、物語がないところに物語を生むような演劇の地平の果て、可能性、なんと言い換えてもいいけれど演劇そのもをしたくなった。
そこで岸上大作を呼び起こしました。
21歳で自死した彼は早熟で、それでいて人間的には本当に未熟でまるで私たちのようでした。彼のことを知り好きになり、深く知り嫌いになり、寄り添うようにまあその弱さもしゃあないかと認めるという旅も大変ですが実に楽しかった。
ぼくは今回の作品はキャッチーではないし、自分勝手なものだと思いますが多くの方に岸上大作という歌人のことを知っていただけたことはとても嬉しいことでした。
5人の女優は本当に勇敢に戦ってくれた。観て下さった方の「私も一緒に戦っていたようだ」という言葉は、何よりの労いだと思います。
最初にこの演劇は「よくわからないもの」だと言いました。いまなら、もうすこしだけはっきりいうことができます。「ぼくのためのノート」を「ぼくたちのためのノート」にするための演劇であった、と。それが、お客さまも含めた「ぼくたち」であったら、それ以上の喜びはありません。
「まあ、私たちは次の作品に、人生に行きますよ。また頑張ります」
ありがとうございました。
南慎介