月別: 2015年10月

【外部脚本】政治をカジュアルに話せるということ(『桜の森の満開のあとで』についての雑文)

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こちらは、feblabo×シアターミラクルプロデュース「桜の森の満開のあとで」という作品の戯曲を書いたもの(つまりわたくし)による雑文的ななにかです。

 

政治をカジュアルに話せる、ということはどういうことなのだろう、とずっと考えています。

社会人になると、最初に教わるマナーの一つに「他人と宗教や政治の話をしてはいけない」と言うのがあります。このマナーについて、僕はかなり懐疑的でした。宗教というのはその人を構成する非常に重要な要素で、ナイーブでなものであると同時にその人の価値観そのものといってもいいはずです。
お互いの関係を、他人と自分は違うという前提のもと知っておくべきなのではないのでしょうか。ユダヤ教徒にクリスマスカードを送ることは失礼ですし、ヒンズー教徒やジャイナ教徒に肉食のレストランに誘えば、お互いに心苦しくなる。他人の信仰を尊重するというのは非常に大事なことのように思います。「宗教の話をする」=「他人の宗教に敬意を払えない」というのはなんともお粗末な話です。

【外部脚本】feblabo×シアターミラクル「桜の森の満開のあとで」脚本提供します

feblabo×シアター・ミラクルプロデュース
「桜の森の満開のあとで」
2015年11月6日(金)~10日(火)
@新宿シアター・ミラクル

脚本:南慎介(Ammo/Minami Produce)
演出:池田智哉(feblabo)
<intro>
ゲンジ大学政治学科タケカワゼミ研究室。
ここではゼミ生の卒業をかけた模擬会議<モックカンファレンス>が行われていた。

舞台は日本海を望む古い街道都市、安宅市。
安宅市が制定した、通称「姥捨山」条例。
老人から成人としての権利を放棄させる条例である。
この条例の是非を問う会議に学生たちは喧々諤々の議論を重ねていくが、理屈、理想、感情、私情が結論を揺さぶっていく。
卒業か、矜持か。
feblaboプロデュース過去最高に社会派な、12人ひと幕会話会議劇。

たまには検索じゃなく思索をしてみよう。