Ammo vol.6「カーテンを閉じたまま」全日程を無事終了致しました。
関わってくださった方々、ご来場頂きました方々、興味を持ってくださった方々、全ての方に厚く御礼申し上げます。
ご感想はこちらにまとまっております。本当にまとめきれないほどの量の感想をありがとうございます。是非ご覧ください。
ポル・ポト派。志高き黒の青年将校、失敗した為政者、最悪の残虐。
歴史上最大のトピックであるクメール・ルージュによるジェノサイド(大虐殺)ですが、その裏にはどの革命にもある理想と挫折がありました。
彼らの革命を「演劇」で追体験する。その企みは皆様の元に届きましたでしょうか。
終演後、またはSNSで私にたくさんのご質問をいただいたので、それにご返信する形で以下、無用のことながら。
①どこまでがフィクションか
一番多く寄せられた質問でした。
架空の登場人物はナタリー(管理人の令嬢)、ヤサ(衣装係)、そしてソテアです。ソテアの人生はソン・センの妻ユン・ヤットをベースにしていますので、完全なる架空の登場人物はナタリーとヤサだけです。
逆に言えば、その他の登場人物は全て実在の人物です。
また、彼らがルトリエ通り沿いのアパルトマンを根城にしていたのも事実のようです。カットされてしまいましたが(台本購入の方はご存知ですね?シーン11です)、初稿にはケン・バンサクがサロト・サルにアパルトマンの鍵を譲るというシーンがあります。
彼らがパリで演劇を創っていたか…これはフィクションの域を出ません。ですが、彼らが「新入生歓迎の出し物」をやっていたのは事実のよう。もしかしたら、そこでリア王が…
②タイトルについて
「カーテンを閉じたまま」
作中、ユオンと二人で話しているシーン(この後あんなことになってしまうわけですが……)、チリトが「カーテンを閉じること」について語っています。
あのシークエンスはもちろん、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」をイメージソースにしています。
届かない雲(西洋の列強)。愚直に坂を登っていけば手が届くと信じた明治の日本人と、手が届かないと見限って雲から目を背け、カーテンを閉じたカンボジア人を対比しています。
③フライヤーについて
ここで、今回のフライヤーを。
King Learの配役は破れて見えませんが、
Cordeliaにはイエン・チリト、
Gonerillにはナタリー・ブランシャール
Reganにはキュー・ポナリー
の名前が見えますね。
そして大きく赤字で「上演中止」の文字。
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さて、今回は僕一人の力でできたものではありませんでした。
戯曲執筆自体も難産だっため、俳優各位の力もいろいろな場面でお借りました。
参加してくれた俳優、勇敢なスタッフ、何よりも立ち会ってくれたお客に改めて、心より感謝申し上げます。
Ammo次回出演は5/3-5、d-倉庫にて現代劇作家シリーズ9「日本国憲法」参加作品『墨を塗りつつ』です。
それでは、また劇場でお会いしましょう。
南慎介