『カーテンを閉じたまま』用語解説

【解説①】クメール・ルージュ


 

 

 

 

 
かつてカンボジアに存在した共産主義革命組織。武装闘争によって「民主カンプチア」を設立すると、ポル・ポトの独裁を支えた。
クメール・ルージュは資本家・知識人から一切の財産・身分を剥奪し、工場や病院を閉鎖し、銀行業務どころか貨幣を廃止し、宗教を禁止し、一切の私有財産を禁止し、一切の近代科学を否定したのである。
これらの急進的な政策はカンボジアに深刻なダメージを与えたが、彼らはこれを「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」と称賛した。



【解説②】カンボジアとフランス

 

 

 

 

 

 

カンボジアは1863年から(大日本帝国が支配した一時期を除き)1953年に至るまでフランスの植民地であり、ラオス・ベトナムと共に「仏領インドシナ」と呼ばれていた。
フランスはカンボジア国王から支配権を取り上げ、経済的・政治的に支配したが、一方でアンコール・ワットの考古学研究を進め、ワットに君臨した王たちがクメール人(カンボジアの主要民族)の直接の先祖であることを発見した。
また、宗主国の常で植民地から多くの留学生を迎えており、ポル・ポトもその一人である。



【解説③】支配と虐殺


 

 

 

 

 

 

1975年にカンボジアを完全に支配下に置くと、クメール・ルージュは苛烈な恐怖政治を行った。旧政権関係者、富裕層、あらゆる専門家、知識人、ベトナム系住民、「反乱を起こす可能性がある」人々が虐殺された。
後期になると「眼鏡をかけている」だけで知識人と見なされ殺害された例もある。これらの虐殺や強制労働、飢饉による死者は全国民800万人に対し、4分の1にあたる200万人近い(※数字は推定)と言われている。
わずか4年のポル・ポト政権が終わった後、カンボジア国民の85%が14歳以下の「子ども」であった。