『光、さえも』電子パンフ P.3 舞台世界ツアー②ジャズ・エイジ

さて、第2回は本作品の舞台となる1920年代のニューヨークです。

 

 

この頃は「禁酒法時代」「ジャズエイジ」「輝ける20年代」などと呼ばれ、いわば日本のバブル期のようにアメリカ全体が猛烈な好景気に包まれた時代でした。

 

背景にはヨーロッパで1914-1918年まで戦われた人類初の世界大戦、通称第1次世界大戦があります。国家予算の何倍もの戦費と犠牲者のあまりの多さにヨーロッパ諸国が顔を真っ青にしていた頃、アメリカは大した損害もない割に戦争特需、と呼ばれる戦争に関連した商売で大儲けしました。

 

 

ライフスタイルも戦争の恐怖や節制の雰囲気から解放されあらゆる面で新しい物が喜ばれました。

 

 

この頃には「大量生産大量消費」が進み、車、冷蔵庫、ラジオ、洗濯機、電話など今ある電化製品はほとんど姿を現します。ないのは携帯電話、パソコン、電子レンジ、テレビくらいでしょうか。

 

 

1922年には全米でラジオネットワークが作られ、ルイ・アームストロング

 

がレコード界のスターとなるとともに全米で知られるようになり、それまで一部地域の黒人音楽であったジャズが一気に広まるきっかけとなります。ジャズ・エイジと呼ばれる所以ですね。

 

 

 

 

気持ちの面でも大きく解放が行われました。第1次世界大戦を通じて「銃後の守り」を務めた女性の地位向上が叫ばれ、1920年に女性参政権が成立するとそこからさらに女性の意識が解放的に変化し、「フラッパー」と呼ばれる女性たちが登場します。

 

 

「フラッパー」は今でいう「不良娘」くらいの意味でしょうか。

先進的で派手な服を好み、独立した人間像を女性が模索し始めました。

この舞台のチラシの裏面に乗っている女性も、「フラッパー」ですね。

 

 

 

一方で、1920年代は「禁酒法とギャングの時代」とも呼ばれています。戦争の反動と、敵国であったドイツのビールをバッシングする空気であったり、極点に禁欲的でアルコールを敵視する雰囲気などいろいろな背景があったようです。

 

 

しかし、結果的には人間の欲望には勝てないようで、闇酒場が乱立。それらを取り仕切るギャングが大きく勢力を伸ばしました。映画「暗黒街の顔役」や「スカーフェイス」「アンタッチャブル」で有名なアル・カポネもこの時代の人間です。

 

 

忘れてはいけないのはスポーツの存在。この頃、ニューヨーク・ヤンキースにはライバルチーム ボストン・レッドソックスから移籍してきた「野球の神様」ベーブ・ルースが在籍していました。彼は移籍とともにピッチャーからバッターに専念すると1920年には54本のホームランを打ち、記録を塗り替えました。

 

 

これがどれだけすごかったかというと、1位のベーブ・ルース54本に次ぐバッターはセントルイス・ブラウンズのジョージ・シスラーの19本で、その差は3倍近く。また、「チーム全員で」彼の打った54本を超えたチームもフィラデルフィア・フィリーズしかないなど、まさしく前人未到の記録を打ち立てました。

旧ヤンキーススタジアムが建ったのも、彼の人気と功績だと言われています。

 

 

 

さて、そんな輝ける時代も1929年の大恐慌であっという間に崩れ去ってしまい、わずか10年でこの輝ける時代は終りを告げるわけですが、今もなお「グレートギャッツビー」など

 

   

 

この時代を舞台にした作品が愛されるのは、それだけ魅力的な時代だからということだと思います。

さて、そんな時代。1921年。輝ける時代は永遠に続くとも思われたこの時、「光、さえも」

の舞台は幕を開きます。

 

次回は、この物語の最重要人物についてご紹介します。

それでは、また次回。

南慎介

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