
Ammo×シアターミラクルプロデュース
番外公演『桜の森の満開のあとで』
全公演終了いたしました。
キャスト、スタッフ、関係者の方々、シアターミラクルの皆様、何より世情不安の中ご来場頂きました皆様に心より御礼申し上げます。
この時期に連日の満席、感謝の言葉もありません。
2015年にこの『桜の森の満開のあとで』の初稿を書いたので5年も経ったんだなあ、と思います。その間に4演あわせて45人の俳優がこの演目を演じてくれましたし、池袋の痛ましい事件があり、「保守的左翼」という造語が笑えなくり、たった5年の間にそれでも世界は確かに動いているんだ、と実感することばかりでした。
少しだけ今作の話をします。
過去3演と比べて、本作の大きな構成要素であったミユキの兄のエピソードが大幅にカットされ(特にワカナとミユキの兄の恋愛関係を思わせる要素)、ワカナとミユキ個人間の関係が強調されました。
マツカゼの人物像が「議論好き」から「できるだけ早く帰りたい人」になりました。ラストシーンと、休憩中のエピソードが大幅に更新されました。
アオイの人物像が優等生からサークルクラッシャーになりました(これだけは本当に謎)。
これらは全て(アオイは除く)、これだけ言葉が力を持った世界で、かつ言葉を信じる人たちの物語で、それでも「人は出来事や言葉ではなく人にしか動かされない」というAmmoの理念をこの物語で浮かび上がらせるための措置です。feblabo池田氏の演出とあい余って、虚構と現実感のあったfeblabo版とだいぶ違う印象になったのではないのかな、と思います。
みんなに一言だけ。写真は顔合わせのわたしたち(双葉だけ合流前)。

ウメガエ、議会。なうちゃん。この座組の支柱でした。
カシワギ、商店。知真。慣れない役で大変だったけれど、新しい商店を作ってくれた気がします。
アズマヤ、勧進帳。じゅんぴー。 この街を立ち上げてくれてありがとう。
スマ、農連。梨加。愛し、愛される人間でしたね。
アカシ、漁連。和也。凪をいつか、観に行こう。
セキヤ、門前。大ちゃん。現代劇のバランス、見せつけてくれました。
マツカゼ、労組。みーちゃん。令和の爆笑王永遠に。嵐ファンの素描だけ今度書き直します。
サカキ、総電。匠。2年越しの縁。最も完成度の高い総電にしてくれました。
アオイ、役場。双葉。座組の人気者。唯一の留年者(語弊)として高い志を。
タケカワ、市長。まさるさん。「我が街」を紹介する教授、最高に映えていました。
ミユキ、南部。ともみ。一番難しい役。あの手触りを今後も忘れないでほしいな。
ワカナ、北部。実莉。主役、お疲れさまでした。

もう少し、これからのこと。
僕らの公演の3日目、3月14日には東京でも開花宣言があったそうで、
「随分脈絡なく咲くんだなあ」と思った記憶があります。そうだった。季節の花は僕らの悲しいとか嬉しいとか、そういうのと無関係に毎年、脈絡なく突然、咲いて、散って行く。そして、無常を感じたり助けられたりするのはいつもこっちの勝手で、だから美しい。
実はこの公演でもう『桜の森の満開のあとで』は打ち止めかと思っていました。
feblabo池田氏からも「3回でひと区切り」みたいな話は聞いていたし、僕が4演をやって「供養してやろう」くらいの気持ちでした。前述の演出プランも過去上演になかったものを最大限強調したから出たものだし、今までで一番低い平均年齢の座組みにしたのも、リアルな学生を見たかったからだし、つまり傲慢にも「作品の完成形を見たかった」からに他なりません。そして、これが「完成形」になったのか、はわかりません。
だけれども、花は、来年も、無関係に咲くので。
今はこの作品がどこかでまた咲いて欲しいと思っています。
そのために、商用ではない公演において本公演の上演料を無料とします。戯曲も貸し出します。商用の公演に関しても極力安価で利用できるようにします。最低限の舞台装置(窓と机と椅子)と俳優の私物の筆記用具で上演できます。どうぞこちらまでお気軽にお問い合わせください。
いつかこの桜が、再びどこかで咲きますように。
Ammo 南慎介